2011年4月1日金曜日

ひとりになって交わる

 震災から3週間が経った。東京は雲ひとつない晴天。
 ベランダのプランターで栽培しているルッコラに白く可憐な花が咲き風に揺れているのを見てハタと思いついた。簡単に栽培できる野菜や花の種を被災地に届けてはどうか? ルッコラは発芽率もほぼ100%だし、生長も早い。葉が出たらどんどん摘んでいってサラダで食べるといい。イタリアでは一種の強壮剤とされているくらい栄養価が高く、ナッティな風味と辛みのある味は病みつきになる。何度か葉を摘んでいくと、やがて薹が立ってきて花が咲き、びっくりするほどのタネが取れる。もともと雑草のようなものなのだろう、強靱なのだ。立派な畑でなくとも、避難所や仮設住宅の前の空き地でどんどん育つだろう。東京では年中栽培できるが、真夏だけは暑すぎてよくない。冬場に育ったものが美味いくらいだから、きっと東北地方の気候にも向いているだろう。震災をきっかけに、東北にルッコラの一大産地ができるなんて、悪くない話じゃないか。

 花巻の岡部さんとの連携で始まった「被災地に活字を!」プロジェクトは、メールやツイッターでの呼びかけに多くの賛同者が手を挙げてくれて、大槌町ルートを始め、3つのルートに今日時点で計27箱を発送することができた。正確な冊数はわからないが、1000冊は優に超えているだろう。最初は仕事で付き合いのある出版関係の人たちに声を掛け、そこからそれぞれの人脈で広げてもらったのだが、僕自身を含めて、本や雑誌に関わる者にも何かやれることはないかと模索していた人が多かったようで、多くの人が嬉々として——という表現は不謹慎かもしれないが——、とにかくひじょうに積極的に関わってくれた。
 なかには「うちは会社単位で同じようなことを考えていて、そっちに本や雑誌を供出するように言われている」というところも数社あった。僕の立場としては、会社は会社でどんどんやってくださいというものだ。ただ、大きなところがやることはそれなりに時間がかかるし、届け先も大きな避難所とか組織ということになるだろう。血管に喩えれば、それは大動脈的な動き。対して僕がやろうとしているのは、毛細血管的な動きだ。
 今後も、被災地の細かなニーズに合わせて柔軟に、継続的にやっていければと思う。
(ツイッターでは、この件に関して随時、情報・作戦を流している。ハッシュタグは、#marukatz )

 以前にこのブログでも紹介した恐山の僧侶、南直哉氏のブログ、「恐山あれこれ日記」(http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/)に、こんなくだりがある。

〈私は、「価値観を共有する」という思い込みとか、「みんな仲間だ」的意識による人間関係をまるで信じていません。価値観を媒介とするなら、その価値観を持たない人を排除するでしょうし、「みんな仲間だ」意識は、事情が変われば、あっという間に蒸発するでしょう。私が信用できる関係は、様々な困難や苦境に直面し、挑戦し、乗り越えていく経験を共に分かちあった人間同士に結ばれる関係です。〉

 今回、いわばなりゆきで「被災地に活字を!」のとりまとめ役をやらせてもらっているが、過去にボランティア体験も皆無で、とにかく日々未知と発見の連続である。最大の発見は「絆」だろう。今回すでに20人を超える人びとに携わってもらっているが、僕が強い絆を感じるようになった人のなかには一度か二度会っただけの人や、まだ一度も顔を合わせたことのない人がいる。それとは逆に、誰との関係が「我欲」や「打算」のためのものだったかが自ずと見えてきてしまって恐ろしいかぎりだ。僕は、今回の津波で過去の価値観や旧いスタイルはすべて流されたのだと機会があるたびに言っているが、平素の自分の人間関係についても問い直さずにはいられない。この話は、書けば書くほど過激になってアブナイので、このへんでやめておくが、その前に、小林秀雄と妹の高見沢潤子の対話から引用しよう。

〈「ボンヘッファー(註:ドイツの神学者)が“交わりのできない人は、ひとりでいることに注意せよ。ひとりでいることのできない人は、交わりに注意せよ”といっているのと同じじゃないかしら。」
「同じことだね。ひとりでいることのできない人、いつでもおおぜいで陽気にさわぐことばかり考えている人は、まじめになることができない人だ。まじめになるときをぜんぜんもたないで、それをどうして苦痛に感じないのか、不思議だよ。それと反対に、交わりのきらいな人は、生きる、ということを知らない人だよ。人間は、どうしたって、他人とともに生きなきゃならないからね。」
「それから、こうもいってるわ。“交わりの中においてのみひとりでいることができ、ひとりでいるものだけが、交わりのなかに生きていくことができる”って。」
「(略)ほんとうにいい交わりのできない人は、ほんとうに、純粋にひとりになりきれやしないよ。他人に心から協力しようとする気のない人は、自分に対してだって、協力できないから、自己統一の力がないことになるのだ。だから、利己主義という自己防衛の形になってしまうのだ。」〉
(高見沢潤子『兄小林秀雄との対話』講談社現代新書)
 

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