2011年4月6日水曜日

海よ!

 TVの天気予報は全国的に快晴だった。日本地図の上にずらりとお天道様マークが並び、雲はかけらもない。小さな日本といえども、滅多に見られない、「壮観」と呼びたくなるような画面だった。
 被災地も、原発事故で避難を強いられたあの土地も、友や家族の住むあの土地も、そして僕の住む東京の空も、どこもかしこも、まるでなにかのご褒美のような快晴! そして桜の花はまたグンと開いて——こういう当たり前のことを、いまは大げさにありがたがりたい。

 福島第一原発2号機のピット付近から流出していた高濃度の汚染水がよくやく止まったと、いま来たばかりの夕刊が告げている。止まらないより止まったほうがいいのは当たり前で、よろこぶべきところだが、すでに海へ流出してしまった莫大な量の放射線物質のことを考えると、とうてい拍手する気にはなれない。
 かつて原発の施工に携わり、自らの経験から原発の危険性を告発し、1997年に亡くなった平井憲夫という人の書いたものがツイッターで紹介されていた。阪神淡路大震災の直後に書かれたもののようだが、これを読むと、原発のつくりや管理がいかに素人仕事で、いかに杜撰か、また今回の悲劇はじつは15年も20年も前にすでに始まっていたことがわかる。さらには、今回の原発事故の処理がおよそ一筋縄でないことも。
http://ma20da1.posterous.com/48355855
 平井さんの文章には、放射能汚染水の海への垂れ流しがすでに90年代には定期点検のたびに行われていたことが書かれている。
 茨城の沿岸で獲れたコウナゴから規定値を上回る放射能が検出され、放射線濃度の低いはずの沖合いで獲られたボタンエビや金目鯛の陸揚げが千葉の漁港で拒否されたのはいずれも昨日のニュースだが、もしかして、いままではちゃんと海水や海産物の放射能値を量ったことがなかったのではないかと疑われる。

 僕は兵庫県北部の日本海に近い海産資源の豊富な土地で育ったので、魚介類に人一倍愛着があり、東京でも頻繁に食べている。刺身は週5回くらい食べるんじゃなかろうか? だから海が汚染されるのは困るのだ。すでに遠い過去から汚染されていたのだとしたら憤懣やるかたない。

 数日前の新聞に出ていた目の不自由な被災者の話。
 宮古市、鍼灸師多出村伸一さん(54)「自宅兼鍼灸院が流されました。全盲なので、海がザーッと迫ってくるような音から逃れるように夢中で走りました。地震後、息子に町の様子を解説してもらいました。海の音も風の音も、聞こえ方が違う。すっかり変わってしまったんですね」
 
 きっと海の中も、すっかり変わってしまったに違いない。

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