2011年4月12日火曜日

鈍麻する現実感


(4/11記す)
 震災から1ヵ月が経った。最初の地震が起こった14時46分には、各地で今回の地震や津波や火災の犠牲者、避難後の劣悪な環境に耐えられず亡くなった人びとのために黙祷が捧げられた。「震災から○○日」「震災から○週間」「震災から○ヵ月」という節目で時間を区切ることは、当日の生々しい記憶を呼び戻す効果がある一方で、「もうこれだけ時間が経ったのだから、少しはましになっているはず」という根拠のない楽観気分を非被災地の人びとに与える。しかし、現地に入った人の印象を聞く限り、まだまだ被災地は被災したままである。
 そもそも、「震災から1ヵ月」というときの「震災」は、M9の地震とその後にやってきた津波だけのことを言うのであり、その後の無数の余震や避難者の地獄や原発事故やデマや風評被害や生活被災のことは含まれていない。正確にいうなら、「3・11から1ヵ月」なのであって、震災はいまも起き続けているのだ。
 それを如実に示したのがきょうの大きな余震だった。17時16分に起きたその余震は、福島県浜通りを震源地とし、地震の規模はM7.1(4/7の夜に起きた大きな余震と同じ)。福島県の浜通り、中通りと茨城県南部で震度6弱だった。東京は震度4。どこかで、なんらかの新たな被害が出ていることは間違いない。
 それなのに……
 僕は余震が起こったとき、入浴中だった。バスタブにつかって本を読んでいたら、iPhoneのアプリ「ゆれくる」の警告音が聞こえた。まず心に湧いたのはイヤだな、という感情だった。裸だし、濡れているし、だいいちまだ温まってないし、読みかけの本はいいところだった。ずいぶんとわが感性も鈍麻してしまったものだ。壊れてボロボロになった福島原発の真下で大きな地震が起こっているというのに、イヤだなとは思うものの、すぐに遠くに逃げなくちゃとか、集められるかぎりの情報を集めなくちゃとか、思わなかったのだ。
 無力感が、かたちを変えて、育っている。無力感は諦念に向かうときだけ救いがある。無力感が絶望に向かわぬように、自分を支えなくてはならない。

 ツイッターで拡散されていた、被災地で取材するテレビ局のスタッフの話。「本当は現地のリアルを伝えたい。だけど、局からの指示は『明るい話題を出せ』『復興に重点を置け』『ペットで癒しを与えろ』という指示ばかりなんです」これでは、どんどん被災地が“仮想の国”になってしまう。

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