2011年4月18日月曜日

悲しみのプロセス

 数日前、バリ島に住む友人のTさん(女性)がツイッターでこんなことをつぶやいていた。

〈地震から1ヵ月。この間起こった出来事に自分の気持ち、思いはどんどん変化してきた。はじめは、呆然、それから悲しみ……そんで、悲しみの中に日本人の優しさとかいって心の光を探してほっとしたり……そして数日前からは憤り、怒り。今までの自分の無知さ加減も含めて。〉

『すばらしい悲しみ——グリーフが癒される10の段階』(グレンジャー E.ウェストバーグ著、地引網出版)という本がある。著者は病院の嘱託牧師。グリーフとは喪失や死別に際して人が抱く深い悲しみのこと。この本によると、悲しみには段階がある。いわく……
1.ショック状態に陥る
2.感情を表現する(激しく泣くなど)
3.憂鬱になり孤独を感じる 
4.悲しみが身体的な症状として表れる 
5.パニックに陥る
6.喪失に罪責感を抱く
7.怒りと恨みでいっぱいになる
8.元の生活に戻ることを拒否する
9.徐々に希望が湧いてくる
10.現実を受け入れられるようになる

 Tさんのつぶやきを読み直すと、彼女の心の動きが驚くほど正確に、この本に書かれたプロセスをなぞっていることがわかる。Tさんの他にも、最近僕のまわりには「怒り」や「憤り」の感情をもてあましている人が少なからずいる。かくいう僕も、しばしばTV画面に向かって毒突いたりしている。
 このブログの最初から書いてきたように、今回の災害の被災者は、被災地だけにいるわけじゃない。東京にも関西にも九州にも海外にも「災いを被った人たち」が大勢いる。フランスやアメリカやイタリアやインドネシアに暮らす友人たちの無力感や自責の念を知るとき、悲しみというのは現場からの距離に反比例して減じていくものではなく、逆に遠いほど深まることがあるのではないかとさえ思える。
 先ほどの本に書かれた悲しみのプロセスによると、「怒り」の次の段階は〈8.元の生活に戻ることを拒否する〉である。「被災地以外の人は、なるべく普通の生活をして経済を回してくれなくては困る」という言い方が震災直後から過度な自粛への「対語」として繰り返し使われてきた。いかにもまっとうそうなその物言いに触れるたびに「でも本当にそうなの?」「まだもうちょっと先でいいんじゃないの?」と思ったのは僕だけだろうか? 悲しむべきときに、ちゃんと時間を取って悲しむ。感情や感情によって引き起こされる身体反応(泣く、不眠、悪夢、情緒不安定、食欲不振や食欲過多など)をきちんと表に出す。そういうプロセスを無理に短縮しようとしたり、なかったことにしてごまかそうとしたりしていたら、きっと悲しみのプロセスはうまく進んでくれないだろう。8でネガティブなものを出し切れて初めて〈9.徐々に希望が湧いてくる〉に移れるのだと思う。

 一方で、震災後2週間くらいまでの間、メディアで伝えられた被災者の声のなかで僕の耳に一番多く残ったのは、「悲しい」でも「つらい」でも「怖い」でもなく、「くやしい」と「ありがたい」だった。
 くやしさと感謝の念。この2つの言葉には東北人の我慢強くて心根の優しい気質がよく表れていると思う。悲しみのプロセスで「くやしい」に相当するのは6と7だろう。東北人の気質の何かが作用して、悲しみのプロセスの進行を一気に早めたということがあるのだろうか? 
 もうひとつ、しばしば被災地から聞こえてくる言い回しがある。それは、「自分はまだマシなほうだ」というもの。ふだんなら消極的に響くこの言葉が、いまはとても前向きで力強いものに感じられるのはなぜか? これは一考してみる価値がある。

 映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(ラッセ・ハルストレム監督、1985年)は、僕が最も愛している映画のひとつだ。主人公のイングマル少年は、自分に降りかかる不幸の数々を前に「それでも、宇宙船スプートニクに実験のために乗せられた孤独な犬に比べれば、僕はマシなほうだ」と自分に言い聞かせる。

 言うまでもないことだが、生きることはもともと「災い」や「悲しみ」や「死」を内包している。ところがある種のライフスタイルのなかでは巧妙にそういう部分が隠蔽されてしまう。隠されたものに気づかずに一生を終えることは、たとえば東京のような仮想的な街に暮らす者にとっても、とても難しい。

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