2011年4月23日土曜日

雨の日に、魂について

 10日ほど前の毎日新聞のウェブ版に、被災地の人たちに「いま、あなたの宝物は何ですか?」と訊ねる記事があった。
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/takaramono/index.html
 記事の一部を拾ってみよう。
 11歳の蓮斗くんの宝物は、先生が見つけてくれたランドセル。「おじいちゃんがつけてくれたキーホルダーが取れているのは残念だけど、大切にします」。
 伊藤幸さん(86)の宝物は、津波の犠牲になった親戚が以前趣味のパッチワークで作ってくれたバッグ。それひとつだけを持って逃げた。中には財布や薬が入っている。
 木村真喜子さん(48)の宝物は、姉が実家に宛てて書いた封筒の一部。焼け跡から見つかった。
 阿部義雄さん(61)の宝物は、消防隊員だった亡き息子の遺品の腕時計。息子の遺体と対面した父親は泥だらけの時計を持ち帰った。「今もちゃんと動いているんです」。
 佐々木繁男さん(84)の宝物は、胸の中にある思い出。自宅を流され、妻はいまも行方不明だ。
 坂井小雪さん(74)の宝物は、瓦礫の中から見つけた位牌。自宅は土砂に埋まり、諦めかけていたが偶然見つかった。「これだけは持って逃げろと教わっていた」。

“位牌”で思い出すのは、「警戒区域」に指定されて半強制的に避難させられることになった福島第一原発20キロ圏の住民の話。圏内立ち入り禁止が実施される前日(4/21)、TV局の記者に気持ちを訊かれて、まだ圏内に留まっていた年配の男性が答えた。
「本当に困るんですよ、お墓のこともありますしね。お彼岸もちゃんとやってないんだから」
 次に画面に出てきた中年女性は避難先でマイクを向けられ、「とにかく突然のことだったので、何も持たずに出てきてしまって。位牌だけでも取りに行きたいんです」と語った。

 死せる魂とのつながりの証——それが、最高レベルの非常事態においてなお、彼らの貴重品リストの首座を占めていることに僕は衝撃を受けた。

 震災から2週間くらい経ったある日。ツイッターでこんなエピソードを見た憶えがある。保存していないので、詳細はうろ覚えだが、つぶやきの主は被災地で取材中のジャーナリストだったと思う。
〈避難所の人びとの疲労はピークに達していて、だれも立ち上がるのも面倒な状態。ところが、ある晩、ある人が「海のほうでひとだまのような光を見た」と告げると、多くの人がわれもわれもと海のほうに出かけていった。行方の知れない家族の魂かもしれない。たとえひとだまになっていても一目会いたいと思ったようです。〉

 ……と、ここまで書いて、タイピングする手が止まってしまった。きょうは、ブログをうまく結ぶ言葉がどうしても浮かばない。
 魂のことに、軽々にオチをつけることはできない。そういうことだと思う。

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