2011年4月9日土曜日

東洋のポルトガル

 震災から4、5日経った頃、僕はツイッターでこんなふうにつぶやいた。
〈かつての「心貧しい経済大国」を取り戻そうとするから、経済活動の再開を焦り、被災地の復興が遅れる。われわれが戻りたいのは「年間自殺者3万人の日本」なのか? あの津波の引き波とともに旧い価値観やスタイルは流れ去ったと思えばいい。これからは「貧しくても心豊かな日本」を目指すべし!〉

 歴史家で大阪大学名誉教授の川北稔氏が朝日新聞のインタビュー(4/7朝刊)で話していることも論旨は同じである。今回の震災を文明史論的にとらえて語っており、考えさせられる。少し長くなるが、記事から要約・抜粋してみよう。

〈近代国家でこれだけの規模の災害と事故に襲われた例はありません。被災地以外の生活や経済にも大きな影響を与えています。今後、人びとのものの考え方を変え、歴史の方向性を変えるかもしれません。
 近代とは、経済成長を前提にした時代です。社会の土台に「成長はいいこと」「ゼロ成長なんてとんでもない」という発想がある。私は「成長パラノイア」と呼んでいます。この成長を裏打ちしたのが、地理的な拡大と科学技術の発展でした。15世紀以降、西ヨーロッパの国々は食料や資源、労働力を求めて、世界のすみずみにまで出かけていきました。しかし地球には限りがあります。やがて成長は壁にぶつかりそうになりました。それを突破してきたのが科学技術の発展でした。エネルギー問題を「解決」してきたのも科学技術です。石炭から石油、そして原子力へ。科学技術は経済成長を裏打ちする「魔法の杖」でした。自然の脅威から我々の生命や財産を守ってくれるのも科学技術でした。
 ところが今回、それがいっぺんに揺らいでしまいました。科学技術が生んだ原子力発電所が厄災を生み出し続けています。
 人間がつくりだしたものによって、人間が大きな厄災を受けてしまう。その意味では、今度の原発事故は戦争に似ているかもしれません。
 もしかすると科学者は「今回は失敗したが、基本的には原発は安全」と考えているかもしれません。でも一般の人の印象は違います。原発を新たに造ることは、当分無理でしょう。そうすると、「経済は常に成長するべきだ」という考え方を後退させないと折り合いがつきません。
 科学技術が十分に信頼できるものではないということになると、社会的に、もやーっとした、正体のわからない、妙な不安感が出てくるかもしれません。
 自然災害が政治・経済・社会を不安定化させることは歴史を振り返れば何度もありました。たとえば、17世紀のヨーロッパで起きた気温の大きな低下です。ふだんは凍らないテムズ川まで凍るほどで、凶作に襲われ、深刻な経済危機に陥りました。社会が非常に不安定になり、政治的にはイギリスで革命が起こり、フランスでも大きな反乱が起きました。迷信やデマが広まり、いったん消えた魔女狩りが復活したほどです。
 近代世界を1つのシステムとして見る考え方があります。これによると、世界システムは16世紀の西ヨーロッパを中心に生まれました。その後、大西洋をわたってアメリカに重心が移っていくのですが、全盛期の西ヨーロッパ諸国の中でも消長や興亡がありました。先頭を切ったのはポルトガルとスペインでしたが、やがてオランダやイギリスに抜かれてしまいました。
 いま世界システムの重心がアメリカから東アジアに移ろうとしています。もともと東アジアで先頭を切ったのは日本でした。しかし今後もずっと続くとは限りません。日本は東洋のポルトガルになるのか。
 東日本大震災にからんでメディアで語られるのが、18世紀半ばにポルトガルの首都リスボンを襲った大地震と津波です。人口の3分の1が亡くなったといいます。これがポルトガル没落の直接の契機だとみるのは正しくありません。重要なのは、震災前から地位が低下していたところを襲われたことです。
 電力の問題も今後の国のありようを変えるでしょう。電力不足が長く続くとしたら、いまの東京の姿ではやっていけません。このまま首都の電力の回復が遅れたら、他の地域への移転が進むでしょう。こうした動きを逆手にとって、むしろ企業や役所や大学の一部を「地方」に分散して東京の電力需要を減らす。そうすれば全体としての日本の姿もいくらかよくなる、と私は思います。
 予期せぬ事態が人びとを移動させ、国や都市の姿、経済の形を変えたことは世界史の中でも例があります。
 近代国家で、大規模な被災があった後に復興しなかったところはありません。長い目で見れば必ず復興しています。どうか、そこは希望を持ってほしい。
 日本はかつてのポルトガルのようになるかもしれません。あるいはスペイン、オランダのように。世界のトップ、アジアのトップではなくなるかもしれません。ただし、それが不幸かというと、話は別です。現在のポルトガルを見てください。むしろ、ある意味で安定し、人びとは幸せな人生を送っているのではないでしょうか。
 もっとも、それを「安定」と受け止めるためには、我々の価値観、メンタルな部分が変わる必要があります。以前と同じ、「ずっとトップを走らないと不安」ということでは、「被災後」をうまくやっていくことはできないでしょう。〉

「原発事故は戦争に似ている」という表現で思い出すのは、ファンタジー作家、ミヒャエル・エンデの言葉だ。1988年ごろ、僕はミュンヘンまで出かけてエンデ氏のインタビューをしたことがある。当時、世界的な問題になり始めていた環境問題について意見を求めると、エンデ氏は「人類は今、自分たちの子孫を殺す戦争をしているのだ」と答えたのだった。広瀬隆氏の著書が話題になり、反原発運動が日本で盛り上がりを見せた(けれども、けっきょくは原発を止めることができなかった)のとちょうど同じ時代の話だ。

 ポルトガルには3度行ったことがある。スペインへは、つい半年前の取材旅行を含め、10回は出かけた。いずれもいまは貧しく、経済的にはヨーロッパ連合のなかでもお荷物的な存在だが、人と文化と食と景観の魅力は世界でもトップクラスだろう。なかでも人の情緒が豊かであることは、あるいは「凋落の歴史」の産物かもしれない。
 人はかなしみが多いほど人にはやさしくなれる、というのは海援隊の『贈る言葉』の歌詞の一節。日本人の情け深いメンタリティに“ポルトガル化”は合っていると思うのだが、いかがだろうか?

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