2011年6月10日金曜日

「伝えたいことがあるんだ!」

 作家の池澤夏樹氏は理系の物事に関する理解が深く、難しい話題をわかりやすく読ませてくれる。6/7の朝刊文化欄にエネルギー問題についてのコラムを寄せていた。要約して抜粋してみよう。

〈核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる。まずは自分たちを欺いて安全と信じ込もうとする。そこに科学的根拠はない。(略)地球上のほとんどすべての事象は原子レベルで営まれている。原子が結びついて分子になり、それらが反応して多くの物質が生まれ、エネルギーのやりとりがある。生命もそこから生まれる。原子より一段階下の核のレベルはまるで違う世界だ。うまい比喩が見つからないほど異質な場。核分裂の連鎖反応が生むエネルギーは化学反応より7桁も8桁も多い(広島の原爆では1キログラムのウランがTNT火薬1万6000トン分のエネルギーを出した)。原子力工学では安定しているものを敢えて不安定にしてエネルギーを得る。拡散している微量の同位体を濃縮し、燃料の中性子線によって核分裂反応を起こす。そのためにプルトニウムのような自然界に存在しない元素も作り出す。原発とは緩慢に爆発する原爆である。このプロセスは必然的に放射性物質を生む。生物にとってまったく異質の毒物だ。我々の身辺にある毒の多くは焼却すれば消える。フグも、トリカブトも、ベロ毒素も、サリンでさえ熱分解できる。しかし放射背物質を分解することはできない。半減期という無情の数字以外の指標はない。
 砒素や重金属など元素の毒は焼却不能だが、体内に入れなければ毒はない。放射性物質は我々が住む空間そのものを汚染する。
 原発が生み出す放射性物質は永遠に保管するしかない。事故になれば大量に放出される。だから、原子力工学では「封じ込め」がキーワードになるのだが、結局のところ、永遠に封じ込めるのは不可能なのだ。数百基の原発を数百年に亘って安全に運転し、かつ廃棄物を安全に保管する能力は人間にはない。(後略)〉

 原発が「緩慢に爆発する原爆」だと理解できたら、それを「推進」する人はいまよりもグッと減るだろう。表現することの大事さをあらためて思う。

 今朝のネットのニュースによると、作家の村上春樹氏がスペイン・バルセロナで行われたカタルーニャ国際賞の授賞式でスピーチを行い、そのなかで福島第1原発の事故に触れ、「日本人は核にノーと言い続けるべきだった」と述べたそうだ。僕の知るかぎり、村上氏が震災後に公の場で語ったのは初めて。早くスピーチの全文を読んでみたい。

 ようやく作家たちが自分たちの言葉で震災と原発事故のことを語り出した。なぜ彼らはもっと早く言葉をもって世に語りかけないのかと、もどかしく思った時期もあったが、意識の深いところに届く言葉をつむぐために、それ相応の情報処理時間を要したのかもしれない。

 前掲の池澤氏のコラムと同じ紙面に、作家・中島京子氏が生まれて初めてデモ(原発反対)に参加した体験談を載せていた。

〈集合場所の渋谷区役所に行ってみると、パレード待ちの人々が代々木公園まで列を作っていた。ミュージシャンの乗る車が演奏しながら先導するので、お祭りの山車を思わせた。「バイバイ原発」と呟くお魚や、「もう燃やされたくない」と泣くウランくん……。プラカードを見るのはなかなか楽しい。小雨の降る中、「No Nukes」の傘の花があちこちで開いていた。(略)テレビや新聞では、海外の反原発デモが報道されていた。ドイツでは25万人が繰り出したとか。日本では、やってないのかなー。ネットでは情報を見つけたが、マスメディアはほとんど取り上げていなかった。
 待てよ。デモは数が勝負だ。人数が増えればマスコミも政府も無視できなくなるはず。興味深い情報も発見した。4月に高円寺で1万5千人を集めたデモがあり、比較的若い人が組織したので、あの、幟を立てて拳を突き上げる昔風のデモではなかったというような。(略)つらいことがあっても耐え忍ぶ日本人の国民性は、震災で世界に称賛されたし、私もすごいと思った。けれど、異論がある時には声を上げないと、大事なことを隠されたり、犠牲を強いられたり、自分の意思に反した未来を選ぶことになったりする。デモはシンプルで合法的な異議申し立ての手段だ。どこの国でも、言いたいことがあれば人は街頭に立っている。(後略)〉

 このコラムのキモは4月の高円寺のデモが多くのマスメディアに無視されたことを、他でもないマスメディアのなかで暴露したことだと僕は思う。

 声や映像と書かれた文章は少し伝わり方が違う。写真もまた別の意味で伝わり方が違うと言えるだろう。方法や効果はさまざまだけど、根にあるのは等しく「伝えたいこと」であり、「伝えたい気持ち」である。アカデミー賞を獲った『英国王のスピーチ』は泣かせる映画だが、なかでも僕がもっとも涙腺を緩められたのは吃音障害のある主人公が絞り出すようにして、「私には伝えたいことがあるんだ!」と言うシーンだった。
 言葉の力を信じて、磨いて、僕もなんとか伝えたい。

※村上春樹氏のスピーチはここで読めます↓。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour