2011年3月24日木曜日

不要のもの

(3/24記す)
今朝も強めの余震で目が覚めた。東京の震度は3。震源地に近い茨城北部では震度5強を記録した。

TVの報道によると、都内で車のフロントグラスなどに黄色い微粉末が付着しているのを見て、「これは放射性物質ではないか?」という問い合わせが役所や関係省庁に多く寄せられたという。この季節、黄色い微粉末といえば花粉か黄砂だということくらい、子どもだってわかる。不安が常識を侵している。花粉と黄砂の混合物から放射能は検出されなかったそうだ。西からの風が運んだのだろう。中国から飛んでくる黄砂だってろくなものは運ばないだろうが、いまそれに言及する人はいない。

スポーツ紙の記事からの引用で取り上げられていたのは、被災地で活動する自衛隊員たちのこと。印象に残ったのは、自衛隊員たちが夜任務を終えたあとに行うルーティンのことだ。彼らは焚き火を囲んで車座になる。その日の活動について互いに報告し合い、目撃した悲惨な状況をシェアして「泣く」のだそうだ。そうやって、その日の悲しみを吐き出してから、それぞれ翌日に備えて眠りにつくのだという。

今回の震災は世界を一変させるほどの破壊力をもっていると僕は思う。あの津波のあとの引き波が、これまでの価値観や旧いスタイルを流し去ってしまったのだ。

人は、いま、自分の職業(職能、天分、経験、社会性)が善か悪か、要か不要か、を問われている。震災直後TVの画面からCMがスポンサーの自粛によって消えた。数日後にはスポンサーCMに代わって、公共広告機構(AC)の広告が民法に流れ始めたが、少ないパターンが繰り返されるのと、CMのラストに入る「エーシー」というコーラスが耳につき、ただでさえストレスが溜まっているのにイライラするということで、その音が消されたりしている。多くの発電所が機能を失ったことで供給電力が足りず、節電が呼びかけられ、夜の街はすっかり暗くなったが、真っ先に消されたのは広告関係の明かりだった。危難のときに最も不要とされるもの——暗くなった街の姿を目の当たりにして、広告代理店とかでエバってた人たちは、自分の役立たずぶりにうろたえていることだろう。

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