2011年3月24日木曜日

人みなやさし

(3/23記す)
イタリアに住む日本人の友人が、「震災以来仕事に集中できない」とメールに書いていた。
バリ島に住む友人(日本人)は、「震災からPCの前にいる時間が何倍にも増えて、眼精疲労になった」という。

僕自身を含め、震災以来体調がすぐれないと言う人は少なくない。
直接の被災者でなくても、災害のようすや原発の危険を伝える言葉や映像に触れた者はだれでも心穏やかではいられない。

きのうの朝、起き抜けに、カラダの内と外の区別がなくなるような、彼我の境がなくなるような、奇妙な感覚に襲われた。ああ、とうとう致死的な放射能がきて自分は死んでしまったのかと一瞬思ったが、そうではなかった。ふだん思い描いている死のイメージとはだいぶん違っていたが、なにせ死んだことがないからわからない。

状況はきょうも変化している。
一昨日、福島、茨城の農産物(ホウレンソウ、原乳など)から基準値を超える放射性物質が検出され、出荷が停止になった。きょうは葛飾区の浄水場(ここから都内全域の水道水が出ている)の水から基準値を超える放射能が出て(乳幼児に長期間飲ませると甲状腺ガンの危険が増すというレベル)、午後にはスーパーからミネラルウォーターがなくなっていた。
きのう、きょうと首都圏は雨が降っていて、そのせいで空気中の放射線物質が雨粒といっしょに地面に落ち、土地や水の放射線の値を上げてしまったようだ。いずれの場合(野菜も水も原乳も)も、その値はかなり保守的なもので、大量に長時間摂取しないかぎり、健康被害はないということになっているが、わざわざ選んで被爆地のものを食べようという人はいないわけで、該当地域の農業や酪農への被害は図り知れない。海の水からもやや高い放射能が検出されたので、漁業にも大きな被害が出るだろう。

夕方、いつも買い出しに行く目黒駅前のスーパーで、過去に見たことのないほど長いレジ前の行列に並んだ。ちょうど勤め人たちが家路につく時間と重なったということもあったのだろうが、数日前の「買いだめ」のときとは違うインパクトを感じた。

……と、このように書くと、読む人はまたしても心配がつのるだろうが、現場で暮らしているわれわれはそれほど緊迫していない。不思議な感じだが、べつに命をおろそかにしているとか、人生を投げちゃってるとかというのでもない。むしろみんな前向きに生きているようだ。きょうの午後、用事があって某出版社にいってきた。社内は節電で暗く、広告自粛等で打ち合わせが激減しているせいか人影もまばらだったが、人びとはいたって冷静で、タバコをふかして雑談をし、災害ジョークも言って笑っていた。以前は会っても会釈する程度の仲でしかなかった人と震災見舞いの挨拶を交わした。総じて、人が以前よりもやさしくなった印象だ。

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