2011年3月28日月曜日

自粛する理由

 日曜の午後、陽のあるうちに少し近所を散歩することにした。林試の森を縦断し禿(かむろ)坂を半ばまで下って桐ヶ谷斎場の方へ進む。東急目黒線の地下化が進められているあたりは、ごちゃごちゃと入り組んだ古い家並みが工事のせいで剥き出しになっている。車の通れぬような小径がL字を成し、坂を成して、向かい合って建つ片方の家の1階が他方の2階だったりしていた。こんなところに大きな地震や火災が来たらたいへんそうだと、ついそういうことに思いが至る。道端に立つ自治体の掲示板に「花見会中止のお知らせ」が貼ってある。ここにも自粛ムードが押し寄せていた。

 家に帰ってTVを点けると、甲子園球場の高校野球ではブラスバンドの応援が自粛でなくなり、アルプススタンドの学生たちは口まねで音楽を奏でていた。

 一方で、「自粛なんてしないで、ふだん通りに元気に楽しんで、経済を回してください」という声が被災地から届く。ある写真家は地震の翌日に救援物資を持って被災地に入り、数日間現地で過ごして東京に戻ってきたら、「東京の方が暗く沈んでいて驚いた。被災地の人びとのほうがよほど生き生きしていた」と言ったそうだ。

「在京被災民」として僕は思うんだけど、自粛は、地震や津波で犠牲になったり、原発事故で難儀している人の気持ちを慮ってということももちろんあるが、それ以上に、われわれ自身がまだショックと不安のうちにあって楽しんだり騒いだりする気が湧いてこないということから起こっているのではないだろうか? われわれ非被災地で暮らす者の多くが感じているのは「無力感」であり、理不尽な「罪悪感」だと思う。どこの町だか忘れてしまったが、被災地の人びとを歌で励ましたいと録画録音している小学生のニュースがあった。その中でひとりの少年がこう言った。
「TVで地震や津波のようすを見たとき、災害に遭ったのがどうして僕じゃなく、あの人たちだったんだろうって思いました」
 奇しくも、この談話は、先日友人Nさんに教えてもらって読んだ恐山の僧、南直哉氏のブログ(『恐山あれこれ日記』)に書かれていたことと同じだった。南氏はそれを「無常」と結びつけていた。
 僕のいう「無力感」「罪悪感」というのも、感覚としては彼らの言っていることに近い。誤解を恐れずに極端な言い方をすれば、東京が震源地で僕らが津波に見舞われていたほうがマシだったとさえ思えるのだ。
 このブログのタイトルに目黒被災という言葉を選んだとき、ひとつには放射能汚染だとか停電、物不足、交通混乱など、われわれが東京にいて物理的に被っている被害を念頭に置いたのだが、もうひとつ、より根の深い、そして実際の被災地とは別種の「被災」について考え、述べたかったということがあったのだ。

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