2011年5月29日日曜日

気持ちを寄せる人びと

 5/20〜5/27まで、雑誌の取材でイタリアのヴェネト州に出かけていた。ヴェネトはヴェニスのある州だ。今回の取材対象はスパークリングワイン、プロセッコの産地、生産者、それに「ヴィラでワインを」というイベント。18世紀に建てられた荘園領主の館に50軒のワイン生産者、世界各国からのジャーナリストが集い、セミナーや試飲会が3日間行われた。
 イタリアのイベントらしく、会場の一隅にエスプレッソスタンドがあった。バリスタにエスプレッソ・マッキャートを頼むと、キビキビとした動きでマシンを操り、コーヒーを淹れ、泡立てたミルクを少しだけ垂らして出してくれた。グラッツェと礼を言うと、どこから来たのかと問う。日本からだと答えると、やにわにバリスタの表情が曇った。
「たいへんなことになったな」
 彼は震災のことを言ったのだ。

 このバリスタに限らず、ワインの生産者もスウェーデンやアメリカやポーランドから来たジャーナリストも、じつに多くの人びとが本題(もちろんワインのことだ)の話もそこそこに悔やみや見舞い、励ましの言葉をかけてくれた。

 イタリアに行く前から、このようなことはある程度予想していた。震災後、仕事やプライベートで海外に出かけた人の多くが同様の経験をしたことを聞いたり読んだりしていたからだ。
 予想はしていたが、実際に彼らの共感や同情や激励の言葉に触れると、僕のほうには予想していた以上の感情が湧き起こった。相手は初めて会う人ばかりである。その人たちが会ってすぐ、まだこちらの名前も素性も知らぬうちに、真剣に心を開き、気持ちを寄せてくれるのだ。
 スマトラやチリやハイチやニュージーランドや四川省で被災した人びとに、僕らはこれほどまで心を開き、気持ちを寄せただろうか?
 そこには彼らの宗教的条件反射というべきものがあったと思う。「汝の隣人を愛せよ」を彼らは感情を込めて実践したのだ。しかし、それだけでは説明がつかぬ気がする。彼らの多くの口から僕は日本と日本人に対する高評と敬意と憧憬を聴き取った。曰く、
「ニッポンは素晴らしい国だ」
「ニッポンの人々はとても有能だ」
「世界最高峰の技術を持ったニッポンでさえ原発事故が起こったのだから、よほどのことだったのだろう」
 根っこにあるのが自動車やバイクを作る日本の製造技術なのか、寿司なのか、アートなのか、オタク文化なのか、サッカーの長友選手なのか、あるいは世界と関わった個々の日本人のふるまいなのか、僕にはわからないが、彼らはとにかくその部分をことのほか強調し、繰り返して訴えるように話したのだ。

 正直言って、僕の心中は複雑だった。自国と自国の民を褒められて嬉しい思いもあった。一方で、この人たちは日本を美化しすぎているし、震災の情報も偏ったものをごく部分的にしか受け取っていないじゃないかという思いもあった。ただそれでも僕の心のベースに流れていたのはポジティブな感情、味わい深い感傷だった。言葉にすると陳腐に響くかもしれないが、それは「ひとりじゃない、つながっている感じ」だった。

 僕は今回の震災と原発事故の被災者は直接の被災地以外にも大勢いると何度も言ったり書いたりしてきた。東京に暮らす僕自身も被災したという自覚があり、それでこのブログのタイトルが「目黒被災」になったことはすでに書いた。関西や九州、果ては外国まで、遠くで暮らす日本人やシンパシーをもった外国人のなかにも心情的被災者がごまんといる。これが今回の震災の顕著な特徴ではないかと漠然と感じてきたが、イタリアで経験したことが、それを確信に変えた。
 地球上で多くの人が同時多発的に「わが事として」被災したのだ。自然災害は毎月のように地球上のどこかで起きているのに、なぜ今回にかぎってそうだったのか? 原発事故がセットになっていたこと、過去のどの災害にも増して映像情報が豊富だったこと……さまざまな理由が考えられるが、最大のファクターは「タイミング」だったのではないかと僕は思う。
 世界は大きなうねりの中にあった。パラダイムは「左・右」や「東・西」から「上・下」へと移り、ゼニカネはマネーという不可視のモンスターに転じた。情報も快楽もデマも人間関係も、法を外れた営みでさえ、たいていの物事はパソコンの前にいながらにして手に入るようになった。商品PRがアートになりすまして街を占拠した。精神性や魂は軽んじられ、聖地は行列をつくって写メを撮りに行くところに成り果てた。便利が化けて、化け物になって豊かさを蝕んでいたことを僕らは薄々気づき始めていたのではなかろうか?
 どこかで誰かがパチンと指を鳴らせて、あるいはガツンと小槌をふるって、このへんてこな世の中をリセットしなくちゃならないんじゃないか? でも、いったい誰がやる? にっくき猫に鈴を付けるのはどのねずみだ?
 M9の大地震はおあつらえの「タイミング」で起こった。倫理観は欠如しているが文学的勘は働く某都知事がそれを天罰と呼んで大顰蹙を買ったが、使った言葉が悪かっただけで、伝えようとしていたことの少なくとも一部は正しかったのだ。

 この「タイミング」を僕らは生かすことができるだろうか? 

 イタリアはチェルノブイリ事故後、6基の原発を順次廃炉にし、現在は原発を持たぬ国だが、じつは原発再開の方向で話が進んでいた。それが福島での事故をきっかけに無期限凍結に再度方向修正した。この話はじつはそれほどきれい事ではなく、実際のところイタリアは電力の不足分をフランスなどから調達しており原発依存度は低くない。
 しかし、例えばチーズの原料となるミルクを採るための水牛を飼育している農場では糞と飼料廃材を用いて電力と熱を得る自家プラントが稼働しているのを見た(余剰電力を電力会社に売ることで年間約2億円の収益があるという)。急峻な山の斜面にぶどう畑がしがみつくように広がるプロセッコの銘醸地、カルティッツェ地区では農家のオレンジ色のテラコッタ屋根に混じって、ソーラー発電の黒いパネルが少なからず見られた。
 彼らのほうが少しだけ前を歩いているようだった。

 イタリアで日本から来た僕に気持ちを寄せてくれた人びとのことをあらためて思い出す。
「たいへんなことになったな」と言ってくれたバリスタのもとに僕は滞在中毎朝通ってエスプレッソ・マッキャートを淹れてもらい、飲んだ。それは小さなカップに半分ほどだけ入った、ささやかで、しかし確かなものだった。この一杯に見合う何かを僕は、この「タイミング」を機に持ち合わせることができるようになれるだろうか?

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